平成18年3月1日 マイスター通信 第12号
|
第12号
|
私、昨年11月に西尾理事長に代わりまして、(財)日本特産農産物協会理事長に就任いたしました。平成13年1月に農林水産省を大臣官房技術総括審議官を最後に退職し、農林漁業金融公庫理事を経て就任いたしました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
|
発行 地域特産物マイスター協議会・財団法人 日本特産農産物協会
〒107-0052 東京都港区赤坂1−9−13 TEL:03-3584-6845 FAX:03-3584-1757 URL http://www.jsapa.or.jp |
○平成17年度地域特産物マイスターを認定しました
本年度の地域特産物マイスターは、別添のとおり18名の方が認定されました。認定者数は、6年目を迎え117名になりました。 協会ホームページでは、カラー写真入りで地域特産物マイスターの技術内容や活動状況等を載せ、マイスターの方々を紹介しております。本年度のマイスターの方々も分野が多岐にわたっており、ハマボウフウ、楓の樹液、もち麦などが加わっています。 今後地域特産物マイスターとして、特産地発展のためになお一層活躍されることが期待されております。 ○「第5回地域特産物マイスターの集い」を2月27日に開催しました。
○平成17年地域特産物の持つ機能性等に関する研究会
○地域特産物マイスターの活動支援
○全国地産地消推進フォーラム2006が開催されました
|
ユズ復興にありったけの情熱 小久保武男さん=埼玉県飯能市
狭山茶の茶所、入間市を秩父方面に向かうと低い山並みが続くようになる。関東では梅産地として名を挙げている越生梅林があり、 それを少し上ると、標高700bあたりにユズが出現する。それより下ではユズが育たないところで、日当たりがよい傾斜地であるため冷気がたまらない、いわゆる気温の逆転現象が起きる地域。その地形と気象条件が埼玉県内にユニークなユズ産地を作り出した。年間の無霜期間は300日もあるという。 小久保さんは県内で唯一の常緑果樹の技術者で、普及員を退職した今も、ユズの展示ほを管理し、栽培指導に駆け回る毎日だ。 小久保さんが調べた記録によると、越生、毛呂山のユズは、昭和5年頃、毛呂山町の素封家である故串田市太郎さんが不況に陥った桑をやめ、ユズを植えたのが最初。珍しがられて1本の木から米1俵分を稼いだという。同18年、食糧増産のために抜根令が出て、ユズを切り倒すかどうか迫られたが、串田さん一家は親類の支援もあり、伐採を免れた。本格的に増殖は戦後のこと。23年ころから東京・神田市場ではリンゴ箱1杯が1万円という高値で取り引きされたほどで、このとき青田買いされたユズは同200円で、買った農家は大もうけしたという記録も残る。 池田内閣の時代に串田さんは8けたの農業収入を実現した。この好況は50年代まで続く。 明治8年の「武蔵国郡村記」には毛呂山、越生地域にだけ柑橘類や梅が栽培されていたとされ、徳川末期から明治初期には生活の糧になっていたと小久保さんは推察する。 ユズはトゲがあり、収穫などの作業には負傷しやすく手間がかかる。だから女性は敬遠する果樹だ。その上、ユズの結果樹齢は昔から13年といわれるほど実がなるまで長い。長年、実生で自家増殖してきただけに、ウイルス病(ステムピッティング)がひどくなってきた。これで今は高知や徳島産に圧倒されている。 小久保さんはこのウイルス病対策に取り組み、弱毒系のユズ探しを始め、「これなら良いかな」というものを増殖してきている。弱毒系を増やして、穂木を高接ぎするもので、この接ぎ木更新も小久保さんの指導による成果だ。 また、自然栽培だと樹高はどんどん高くなるが、はしごや脚立を使って収穫していたのでは、1個取るのに10秒から12秒かかる。これを地上から直接取れる低樹高化にも取り組んだ。主枝切り戻しのカットバック手法だ。これだと1個7秒で切れる。 このほか、温州みかんで実用化しているボックス栽培も実験しており、これだと新植後3年で収穫できる。主枝が直立しがちなユズを、下に引き下げる誘引で花芽をつける隔年結果防止法も成果を挙げている。 さらに施肥を一回ですまそうと、小久保さんが「老人肥料」と呼ぶ緩効性肥料の施用も広まってきた。
越生、毛呂山地区のユズは、栽培面積約50f。決して大産地ではないが、温暖だという地域の特徴を生かした特産物として名物に数えられる。ただし、地場での加工品が発達せず、「昔はユズ酒を作ろうと醸造したこともあった。しかし、時期が早かったのか売れなかった」と小久保さんは振り返る。 果皮、果汁とも利用価値の高いユズだが、食生活の中では少量ですむ品目で、需要が一気に広がるものではない。それだけに好不況の波が大きく、経営的には難しい果樹だ。 それでも、東京中央卸売市場の統計では、昭和35年から53年までは埼玉産のユズが全国トップの入荷量で、総入荷量の5割から6割を占めた。千葉、群馬など関東産では群を抜く生産を誇っていた。ところが、54年以降は高知産が大きく量を伸ばし、55年以降、埼玉産は高知、徳島産に押され続け、平成5年からは入荷量10位以内から姿を消す。 ただ、串田市太郎さんの子息、實さん(77)=毛呂山町窪ノ入は「私が生まれたころ植わった木がほとんどで、何とか守っていきたい。でも1人では60eの管理がせいぜい」と話す。串田さんの家では11月いっぱい収穫(ずれ込むと翌年の花芽が形成されない)し、貯蔵庫に入れて3〜4月まで出荷する。 串田家の娘が浅田家に嫁入りする際、ユズの苗木を持参、新植したり親類に配ったりし、この浅田家からさらに成人した娘が、嫁入り先に苗木を持っていくという形で広まってきたこの地方のユズ。小久保さんは、昔の栄光を再びと願って、普及員生活からは引退したが、今も毎日展示ほに足を運ぶ。 |
<マイスター関連新聞記事>
|