平成17年6月20日 マイスター通信 第11号
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加 賀 野 菜 の 味

地域特産物マイスター審査委員
小 野 良 孝

 野菜には地域名が付いたものが少なくありません。例えば、ネギでは、「下仁田ネギ」、「岩槻ネギ」、「越津ネギ」、「九条ネギ」、「加賀太ネギ」、「千住黒ネギ」、「深谷ネギ」等があげられます。これらは、いずれも近代育成品種ではなく、地域特有の在来種であり、その優れた特性から全国的に名が知れ渡った故に、産地名が冠されたものと考えられます。まさに、地域特産物の典型と云えましょう。
 一方、数種の野菜を総称して産地名を付したものに「京野菜」や「加賀野菜」があります。これらは「京料理」、「加賀料理」の食材として有名になったものでしょう。本地域特産物マイスターに、京野菜で一人、加賀野菜で三人の方々が認定されています。
 私の郷里、北陸金沢の名物の一つに「かぶらずし」があります。加賀野菜の「青かぶ」に、能登沖でとれた脂ののった寒ブリをサンド 状に挟んで糀でつけ込んだものです。海と里の味が混然とした贅沢な品です。もっとも、一般の家庭では、「加賀大根」と高価な寒ブリの代わりに身欠きニシンを使った「大根ずし」が普通です。これもまた、大根のさっぱり感とニシンの脂とが糀のほのかな甘さで調和され絶妙な味わいがありますが、塩加減と糀のバランスが難しく、他人様に供して恥ずかしくない味を出すには年季が必要です。
 近年、スーパーに出回るほどの普及をみせているズッキーニは、ペポカボチャの一種であるとされますが、見かけも味もキュウリに似ています。生食以外に煮込んだり炒めたりします。一般にキュウリを生食や漬け物だけで食し煮込むことをしない者にとって、挽肉を詰め込んだズッキーニの煮込料理に抵抗を感ずるかもしれません。しかし、加賀地方では古くからキュウリは煮込み料理の食材の一つでした。それは加賀野菜であるキュウリ「金沢太」が煮物に向いた特性を持っていることに由来します。故郷を遠く離れた今も私の舌に「加賀大根」の糀漬けや「金沢太」の煮物の味が記憶されています。
 地域特産物としての産地名を冠した野菜の多くは、地域特有の調理法により人々の舌に、その味を消しがたくしみつけさせる個性を備えていると云えるでしょう。

発行
財団法人 日本特産農産物協会
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ホームページアドレス http://www.jsapa.or.jp
○平成17年度地域特産物マイスターを募集
 当協会は、地域特産物マイスターの公募を本年度も例年どおり行うこととして、平成17年6月1日付け文書で公募を開始しました(別紙1)。本年度も20人程度を認定する予定で、市町村、農業改良普及センターなどからの推薦を、応募期限を9月末日までとして受け付けます。地域特産物の栽培・加工の分野で豊富な経験や技術を持ち、地域特産物の産地育成を支援する役割を担えるような、地域特産物マイスターにふさわしい方がおられましたら是非とも推薦していただけるようお願いします。
 地域特産物マイスター制度が平成12年度に発足して以来、5年間で99名のマイスターが誕生しており、それぞれの地域で活躍されておりますが、まだマイスターが不在の県が10県あり、特にそのような県からの応募をお待ちしております。

○第4回地域特産物マイスターの集いを開催
 第4回地域特産物マイスターの集いが、去る2月21日東京都港区の三会堂ビル石垣記念ホールにおいて開催されました。本年度も昨年と同様に平成16年度に認定された地域特産物マイスターはじめ、前年度までのマイスター及び農林水産省、都道府県関係者等120名にも上る多くの方々に参加いただきました。 
 はじめに、当協会西尾理事長が「マイスター制度は、発足して5年を経過しましたが、最近では、テレビや新聞でも取り上げられるようになり、知名度が高まっています。これは、マイスターの皆さんのご活躍によるものであり、感謝申し上げます。」と挨拶し、次いで、来賓の農林水産省そめ染英昭審議官からは「新しい食料・農業・農村基本計画の検討が進められており、この中で食料自給率の目標が大きな課題となっていますが、自給率の目標を達成していくためには、地域農業の活性化が重要であり、地域特産物は活性化を図るために重要であります。」とのご挨拶をいただきました。「新しい食料・農業・農村基本法」は、3月25日に閣議決定されました。
 次に、平成16年度マイスターへの認定証交付を一人一人に行い、マイスターを代表して秋田県の斎藤作圓氏が「私は、ハーブの地域特産物マイスターとして認定証をいただきましたが、ハーブにたどり着くまでにはいろいろなことを手がけてきました。地域の特産物として育てるために、キノコをはじめリンゴ、比内鶏など地域の皆さんと取り組み効果を上げてきました。そのような中で、観光資源が必要ではないかということで、観光農園、果樹園づくりに着手し、平成7年に「ハーブワールドAKITA」をオープンして地域の皆さんと頑張っています。」と挨拶されました。
 その後、大分県大山町の(株)おおやま夢工房(ひびきの郷)総支配人緒方英雄氏から「まちは劇場 まちは舞台」のテーマで、「地域づくりは、お年寄りから若者まで、知恵を出し合い、足の引っ張り合いではなく、いいことをつなぎ合わせていくことで成り立ちます。我が大山町の梅干しの品評会は、おばあちゃんからの提案でした。最初は多くの賛同が得られませんでしたが、現在は、梅は大山町の地域づくりの最も重要な資源となっています。マーケティング戦略などに広く情報を求めるとともに地域の多くの人に参加を求めて進めることが重要です。」とお話をいただきました。
 会議終了後の交流会では、出席されたマイスターを中心に相互の交流も図られ、今後の連携・交流の礎となる意義ある集まりになりました。
 なお、この会議の模様については、別冊「第4回地域特産物マイスターの集い報告書」として取りまとめましたので、ご一読ください。

○平成16年度地域特産物マイスター協議会を開催
 「地域特産物マイスターの集い」終了後、同会場の石垣記念ホールにおいて、マイスターの相互の連携・交流を図るための「地域特産物マイスター協議会」が開催されました。マイスター37名が出席し、新規会員の入会や会計報告を行い、役員(16年度補充)の選任などについて話し合いました。
 16年度認定のマイスターからの新規理事については、マイスターが複数おりまだ役員の出ていない県から選ぶこととして、具体的にはその後に持ち越しましたが、秋田県の斎藤作圓氏と静岡県の鈴木丑三氏にお願いすることになりました(別紙2)。
 新しい会員には、この協議会は地域特産物マイスターの相互の連携・交流を図ることなどを目的とするマイスターの自主的な組織であり、その主な事業は、年1回の総会のほかマイスターの集いや地域特産農業情報交流会議への出席、研修会の開催、ニュースレターの発行等情報の収集・提供であることなどを規約に基づき説明しております。

○地域特産農業情報交流会議を開催
 地域間の情報交流を進めることにより、地域特産物の産地形成、地域振興のリーダー育成などに資するための「地域特産農業情報交流会議」が、2月22日に地域特産物マイスターを含め、190名の多くの参加を得て開催されました。
 プログラムは別紙3のとおりで、北海道の「アロニア」という新しい小果実導入による特産物づくりなど全国から7つの産地事例が報告されました。本年度は、地域在来の珍しい野菜を最近になって新たに振興して特産物に育てていこうとする事例が目立ちました。その後、山崎農業研究所の小泉浩郎氏の司会で「特産物を核とした地域おこし」をテーマに、熱心に討議が行われ、コメンテーターの中村さんからは「技術問題は、絶えず起こっています。地域の普及員の活躍に期待しています。若い普及員は技術面で物足りないところもありますが、高齢者には苦手なコンピュータによるデータ処理など得意な分野が沢山あります。地域の皆さんと普及員の方々がいろいろな知恵を出し合って進めて頂きたいと思います。」山本さんからは、「地域ブランドの確立・管理が重要です。効率主義だけではなく、マーケットを考えながら伝統的な作り方をもう一度見直して品質を高めることが必要ではないでしょうか。」
 最後にコーディネーターの小泉氏が、「オンリーワン産地とは何かといろいろ議論していただきましたが,結論は、一つは,自分たちの開発した商品に自信を持って定価で売る,市場には任せないこと,これがオンリーワンたる所以です。二つ目は,産地を支える支援組織の重要性です。特に今日は農業改良普及員の皆さんが多く来ていらっしゃいますので、今度普及制度が変わります,変わった中でこういう特産地をきちんと育てていくというのができるかどうか試される課題を負うことになるのではないかと思います。是非普及員の皆さんの現場での活躍を期待いたします。三つ目に,支援組織,役場も含めて,補助金を出し,頑張ろうという話ですが,その結果生産者がおんぶに抱っこでは困るわけです。つまり生産者がその産地の一員であるということの当事者意識をどう持つか,そのことが大事な話だと思います。それは生産者自身が産地の中で私はこういう役割を持っている,この役割を産地の中で,おれがいるからこの産地がもっているんだぐらいの意識が生産者の中にあるということが大事だと思います。それから四つ目に,今日のお話は大部分が発展期のお話です。発展期の時は皆頑張っているんです。問題は産地は発展期、成熟期があり衰退期があるのです。その発展期のエネルギーをどう持続させていくか,これをきちんと整理しておかないと,成熟期になると危ないです。」 とまとめられ、出席者も最後まで熱心に参加されて、有意義な会議となりました。

                   
千原 信彦  地域特産物マイスター審査委員
                     元日本農業新聞 論説委員

無報酬で国産生薬振興に体当たり
薬用作物 福田眞三さん(奈良県桜井市)



 「病気にならない体を作るには生薬が一番」という福田眞三さん(78)。奈良県桜井市で古くからの生薬問屋を営む。自宅の屋根の修築時に宝暦年間(1751−63)という文字が見つかったというほど古くからの薬種商だ。「本家の方はまだ古い。徳川時代以前の創業と聞いている。生産地の問屋が家業だが、栽培指導に忙しく問屋稼業の時間がない」ともらすほど、たくさんの産地育成を手がけてきた。
 奈良県はもともと生薬の大産地だった。種類にして40種以上はあったと福田さんは推定する。麦作が主体の畑作が多く、戦前は見渡すかぎりの薬草だった。
  ことに吉野地方は一大産地。コンニャク作りが主だった同地方では、1日かけてコンニャクを吉野材の集散地である五条市まで運び、米を買って帰るという生活だったが、薬草に代わってからずいぶん生活が楽になったといわれる。
 若いころの福田さんは、代々伝わる豊富な薬草の知識を生かして京都大の専修科に難なく入学、このあと京都薬科大の助手を務める。家業は他人任せで学者の道が開けていた。

 ミシマサイコ産地指導に市町村行脚
 転機となったのが25,6年前に発足した特産農作物生薬部会の活動。昭和大、九州大、北大、それに東京、大阪の生薬問屋、ツムラ、カネボウなどが入って国産生薬振興の活動が展開された。このとき生産面を担当したのが福田さん。
 何をやるか、議論したとき、地方からはたくさんの要望が寄せられた。その中から選んだのがミシマサイコ。「九州全域をミシマで埋めよう」が合言葉だったという。 当時、熊本県では特産課が設置されていたが、6年たっていたのに成果が上がらなかった。
そこへ招かれた福田さんは全市町村を巡回、ミシマサイコの栽培を説いて回った。福田さんは「日本一のミシマサイコ産地に。そのためには良いものを作る」をモットーに「ものは人が作る。その人を作るのは県の役目」と主張、実践した。それも一気に大産地に持っていくのではなく、体験しながら増殖していくやり方で徐々に拡大していくやり方。「当時は生産者も偉かった。これを作ったらいくらになる、と聞く人はいなかったもの」と振り返る。2〜3年で素晴らしいミシマサイコができた。普通7〜8aのものが40aもの大きさになったという。
 こうして福田さんの指導人生ともいえる産地行脚が始まった。鹿児島、宮崎、さらには岐阜、北陸の富山、新潟県佐渡地方、また、地元の桜井市ではボタンで有名な長谷寺の奥の基盤整備後地にサイコ、トウキ、シャクヤクの産地を作った。ここは9月総会の会場として、今も毎年会場になっている。
 「1つの特産地を作り出していく努力は、並じゃできない。足代=旅費はもらったが、後は手弁当で産地指導をやったのは私くらいのもの」。手が離れた以後、生産は落ち込んだ様子もある。「産地指導というのは自分が燃えないと産地は動かないものだ」福田さんが今までに学んだ実践哲学でもある。
 産地を作っても、福田さんの手元には荷が来ない。集荷・販売は国産生薬(株)の白井義教社長(地域特産物マイスター)の役目と当時からきっちり分担し、それを固く守っているからだ。「でもありがたいことに、従来の産地からの荷は毎年必ず届く。うちは10貫目のものは200〜300匁多く入れることを貫いている。相手に迷惑をかけちゃいけない。これが信条で、お陰で注文も先方から来る。営業に行ったことがない」。

 良い品−−国産品増産へ情熱そそぐ
 漢方薬、民間薬として売れっ子の薬草だが、「心配なのはエキスメーカーが増えたこと。それに韓国、中国からの輸入だ。国産生薬良品だけに高い。薬価基準がそうさせたので、2通りの基準を作って欲しいと要請しているが、なかなか実現しない」といらだちを見せる福田さん。
 「私は良い国産品をなくしたくない。幸い、日本東洋医学会が協力姿勢を見せてくれているので安心。重点保存品目としてゴシュユ、シャクヤク、ボタンなど21種類を指定し、残す運動を展開してくれている」と笑顔を見せる。「どこでできたものでも日本国民に効くとは限らないのが生薬。自分の住む周囲にある薬草が自分を治してくれるミネラルも十分役割を果たしてくれる。そのミネラルはの土地の土が持つ成分だ」と福田さんは年齢を忘れてまだまだ産地育成に駆け回るつもりだ。
<写真:集荷されたトウキの乾燥根を手にする福田さん>


ミズナ、九条葱の産地づくりに駆け回る
京野菜 今林長夫さん(京都府八木町)



 賀茂なす、堀川ごぼう、九条葱、聖護院だいこん、伏見とうがらし……数ある京野菜の中で、京都府船井郡八木町はミズナと九条葱の産地だ。その振興に体当たりしたのがJA京都八木支店生産課長の今林長夫さん(53)。現在8.5fの雨よけハウスでミズナ、ネギが栽培されているが、「他産地がたくさんでき競争が激しくなった。今後を考えると今が正念場」と危機感を募らせながら、おいしい京都産野菜の売り込みに熱を入れている。
 今林さんと京野菜の出会いは平成3年のこと。当時、八木町農協の中川泰宏組合長(現JA京都府中央会長)が、その3年前に結成された京都ブランド産品協議会(市町村、JAで組織)の活動に熱心で、地元でも産地化しようと、今林さんに産地化の指導が命じられた。

 不安の中、生産者説得に日参
 ミズナは冬場の漬物用は栽培経験があったが、夏にも出荷する周年栽培となると全くの未経験で不安の中でのスタートだった。幸い、近くの和知町でハウス栽培が始まっており、それを見学しながらの試行錯誤が続いた。「JAも軟弱ものは扱ったことはないし、作る生産者はもっと不安だったと思う。最初は誰も私のいうことは聞いてくれなかった」。そんな中、最初に取り組んでくれたのが同い年の松崎忠嗣さん=京都府指導農業士。中川組合長とも同年だが、町や普及センターの職員と毎日、松崎さん方に通ったと当時を振り返る。
 「杉丸太の産地だった八木町だが、国産材の不振で名産の丸太が売れず、米も振るわず、加えて高齢化が進んでいた状態で、何か良いものはないか、と考えていた矢先に今林さんらに勧められた」と松崎さんもいう。
 もともと年中食べる野菜じゃなく、漬け物や鍋物に使うくらいだったから、作り始めたころは、まず生産者自らが食べる工夫をしようと、普及センターの協力を得ながら女性部の料理講習会では食べ方の研究をし、JAの催しや展示会で試食販売など販売には苦労が続いた。作りながら、売りながらの工夫が続いた。
 ところが見よう見まねで取り組んだミズナが、都会の若者にサラダ用に受け、需要がどんどん伸びた。女性や高齢者にもできる軽作業が多いことも、ミズナ栽培に好都合だった。順調に栽培者も増え、現在は65人がJAのリースハウスを導入して、8.5fの雨よけ栽培に従事している。このリースハウスも産地化には大いに貢献した。1棟500万円はするハウスだが、リース事業により農家が初期投資にあまり負担に思わないで取り組めたからだ。
 九条葱は、ミズナの連作で土が弱ったころに、1〜2作入れる輪作が定着している。というのは、ミズナ自体は強い野菜だが、雨が当たると軟腐病が出がちで、夏場は作りにくい。生産者も休養を取りたいと思った時に、九条葱を間に挟むのが効果的。年間5〜6作のミズナがこのネギを挟むことで、土も生産者も一息つけるのだと今林さん。

 次の作物選定に準備始まる
 「栽培が始まって14年たつが、これからが正念場」……松崎さんとも一致した意見だ。ミズナの消費は伸びているとはいえ、関東中心に大産地が続々できてきており、競合産地の相次ぐ出現に販売環境は厳しさを増すばかり。これからが注目される産地育成だが、「JA京都の生産計画では、今の面積を倍増したいと考えている。京野菜にはいろんな品目があり、ヤマイモや紫頭巾(黒豆の枝豆)、伏見とうがらしなど有望。中でも紫頭巾は丹波黒より7〜10日早い枝豆で評判はいい」と今林さん。「京都は1200年の歴史がある。この中で京野菜は良いものだけを選抜して生き残ってきた。あとは生産者の意欲と販売努力」と言い切る今林さんだ。今後も栽培指導、販売促進に走り回るつもりでいる。
<写真:収穫中のミズナを前に話し合う松崎さん(右)と小林さん>


鈴 木 功  (財)日本特産農産物協会 参与

「地域活性化に夢を求めて」

−高齢者に出来るジネンジョ栽培法を開発・普及−
ジネンジョ 山縣繁一さん (茨城県北茨城市)


 ジネンジョのマイスター山縣繁一さんは、茨城県北茨城市でジネンジョの栽培指導に当たってきている。現在、56歳、中山間地域で自ら栽培技術の実践者、リーダーとして働き盛り、多くの仲間の信頼を一身に集めて活躍中である。山縣さんは、地元の農業高校を卒業すると農協に勤務。農産物の販売事業等に従事する一方で、弱冠28歳の若さで市会議員に当選、農協幹部の理解の下で37歳まで農協職員と議員を兼務、その後農協を退職し、議員を4期16年44歳まで務めながら農業に専念。37歳で農協を退職したが、当時は父が元気で水田を中心の農業を営んでおり、山縣さんには、耕地が僅かしかなかったので、経営面積が少なくても可能な農業、地域の気候、風土を活用できる資源を探した結果、この地域の山野に自生しているジネンジョに着目した。調べたところ全国にはジネンジョを栽培している人がかなりいることを知り、尋ねて回る。栽培容器にパイプを利用した山口県の政田さんらの技術に学び、地域の5人の仲間と技術を導入して開始した。品質の良いものが生産できたが、容器代が嵩み、労力もかかるために順調には進まず、始めて3〜4年目に生産が低下した。経費がかからず、収穫作業が簡単な栽培法はないか、水田の畦に漏水防止に使用されているビニールシートを使用してみよう、と考え使用した結果、これが経費もやすく、収穫も簡単、品質も上々であり、平成の始め頃から仲間の賛同を得てこの栽培法を取り入れて生産量は、順調に伸び始めた。

  −栽培技術を公開−
 現在の組織は、「北茨城自然薯研究会」会員37名の会長である。順調に伸びてきた生産、この技術を多くの人達に知ってもらい、ネットワークを作って行こうと考え、技術を公開しようと提案。当初は会員の中で公開することに反対の意見もあったが、ジネンジョへの話題性を多くの人から得るためには必要ではないかと皆さんの合意を得て平成12年公開に踏み切った。平成14年には、NHKの「食べ物新紀行」で紹介され、全国から照会の電話が殺到、パニック状態になる嬉しい悲鳴となった。現在、全国に500人余のジネンジョ愛好者がおり、視察などに追われている。
 山縣さんは、もう一つの本業も営んでいる。「そば道場」ジネンジョと山菜などを利用した季節料理を提供、平日でも愛好者が沢山訪れ味を楽しんでおり、土日は大変な盛況である。
 また、この道場は、そば打ち体験も予約で受け付けて、山縣さんが講師となってジネンジョとそばの美味しさを広めている。山縣さんは、ジネンジョだけでなく、他の多くの活動組織との連携を深め、地域経済・地域の活性化を常に考えて活動しており、現在、高齢者を中心とした山野草や切り花の生産の組織化にも力を注いで来ている。これら組織の連携のための事務局的な役割を果たしてきたが、多忙から十分な活動が困難となったため、平成15年にNPO法人「リフレッシュ」を茨城県知事の認可を得て設立し、花を活かした町づくりなどの活動を進めており、副代表として忙しい毎日である。
<写真:常磐自動車道北茨城インターから北西に5km  TEL 0293(42)3306>
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