平成15年4月25日 マイスター通信 第6号
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第6号
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サトウキビは、赤道直下地域に起源し、世界の熱帯、亜熱帯地域に広く栽培されています。わが国の主産地である南西諸島とりわけ薩南諸島は経済的栽培の北限であると言われています。ところが、江戸時代にはそのサトウキビがはるか北の地、四国の讃岐、阿波を中心に栽培され、それから精製された砂糖は「和三盆」として珍重されていました。現在でも、同地域には製糖業を営む数人がおられます。白下糖を生産されている本地域特産物マイスター協議会長である山田さんもそのお一人です。 四国での製糖業は、江戸時代中期以降における砂糖需要の高まりに伴う海外からの輸入量の増加が、わが国の財貨の海外流出を招き、これを懸念した将軍吉宗による「国内産糖策」に端を発しています。当時は、関東以西の地域でサトウキビ栽培と製糖が試みられました。高松藩では、名君の誉れの高い五代藩主松平頼恭が領内に主産物がなく藩経済が疲弊して行くことを憂え、宝暦・明和の頃藩の表医師池田玄丈に製糖技術の研究を命じたとされます。その後、玄丈の門人向山周慶が師の意思を継ぎ、多くの困難を乗り越え独特の分蜜糖精製技術の開発に成功し、普及に移されました。高松藩領内でのサトウキビの栽培面積は、寛政6年(1794年)は100町歩でしたがその後増加の一途を辿り、天保5年(1834年)には1130町歩、慶応元年(1865年)には3807町歩に達したとされます。天保1〜3年間における大阪の砂糖市場における讃岐産糖のシェアは55%と他の地域の砂糖を圧しており、藩経済の建直しに大いに貢献し、明治維新後の廃藩の際大蔵省に引き継いだ金が百万円を下らなかったと云われています。 農業生産、とりわけ特産農産物の生産は、「適地適作」を宗とする考え方が大勢を占めているようです。しかし、「適地適作」という考え方は、静的・固定的なものではなく、技術によって「適地適作」はその範囲を広げます。適地を超えた地域で熱帯作物サトウキビを工夫して栽培し、新たな製糖技術によって大きな成果をもたらした「和三盆」の歴史は、そのことを如実に物語っていると云えましょう。 |
発行
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財団法人 日本特産農産物協会
〒107-0052; 東京都港区赤坂1−9−13 TEL:03−3584−6845 FAX:03−3584−1757 ホームページアドレス http://www.jsapa.or.jp |
○第2回地域特産物マイスターの集いを開催
地域特産物マイスターに認定証の交付を行うとともに、マイスターの研鑽及び相互の交流・情報交換を進めるための「第2回地域特産物マイスターの集い」が、2月24日、東京都港区・三会堂ビル石垣記念ホールで開催されました。 当日は、平成14年度に認定された「地域特産物マイスター」をはじめ、平成12年度・13年度認定のマイスター及び農林水産省、都道府県関係者等約130名の多数の方が参加されました。 はじめに、当協会西尾理事長が「地域特産物マイスターの認定をきっかけに、ますます地域特産物づくりのリーダーとして活躍して欲しい。」と挨拶し、来賓の農林水産省坂野雅敏審議官からは「今、本物志向、安心・安全な農産物を求める時代になっており、地域特産物の重要性が高まっている中で、マイスターの皆さんの実践的技術が非常に大きな役割をはたす。」とのご挨拶をいただきました。 続いて、平成14年度マイスターへの認定証交付を行い、マイスターを代表して熊本県の木之内均氏が「マイスターとして、今まで培ってきた技術やノウハウを地域に広げ、発展させていくよう努め、日本の農業や経済に貢献できるような形を見出していくのがマイスターの命題だと思う。」と挨拶された。 その後、マーケティング・プロデュサーの平岡豊氏から『「地域個性品」を大切にしよう−農産商品いきいき作戦−』のテーマで、地域特産品の販売戦略のアイディアなどについて、いくつかの事例を示されながら楽しく有意義なお話をいただきました。 会議終了後の交流会では、出席されたマイスターを中心に相互の交流も図られ、今後の連携・交流の礎となる意義ある集まりになりました。 この会議の模様については、別冊「第2回地域特産物マイスターの集い」に取りまとめ、平岡先生の講演内容も全文掲載し、紹介しております。 ○平成14年度地域特産物マイスター協議会を開催
○地域特産農業情報交流会議を開催
○畳消費拡大のための「畳使用によるポスター」をJR主要駅に掲示
○全国ハーブサミット珠洲大会が7月に開催
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女性企業家として第1線で活躍 アイデアいっぱいの商品群
小池芳子さん(70) 長野県下伊那郡喬木村
小池さんの経営する(有)小池手作り農産加工所の営業品目は、ジュース、ジャム、エキス、梅干し、ドレッシングと豊富で、長野県飯田、下伊那地域26集団で作る飯伊地域特産加工開発連絡会の副会長を務める。長野県や近隣県では、有名な農産物加工指導者、それが小池さんだ。香料、色素でごまかすような加工品ではなく、「食べ物は命をつなぐものだから、確かな原料をふんだんに使って手作りする」それが小池さんの信条。送り出す商品には、このメッセージが同封されている。 「昭和59年、農村の婦人グループで野菜の無人市を開いたんですが、これが私たちに事業というものに目覚めさせてくれた」と切り出した小池さん。同時に、暑い盛りに梨づくりをしていて、自販機から買ってくる缶ジュースが、自分たちがおいしい果物を作っているのになぜ買わないといけないの、と感じたのが加工に乗り出すきっかけだった。 現在は、同加工所の社長であり、地域の農産加工の有名な指導者でもある。頼まれればどこへでも、愛車を駆って出かけていく忙しい毎日。 「これまで20年。試行錯誤しながら技術を身につけてきた」と小池さんは言うが、それは半端ではない。伊那地方は果樹のほかトマト、イチゴまで果物の宝庫で、いろんな果樹が植わっているが、果実という果実はすべて加工する。例えば梅。「竜峡小梅」がこの地域の特産だが、これをシソジュースに漬けて濃いピンクの梅漬けにし、さらにこの製造過程でできる割れ果を裏漉し、練り梅に。さらにマヨネーズなどと調合して各種のドレッシングができていく。あめ玉やジャム、エキスも梅の製品だ。梅の仁(タネの部分)まで使い、2次、3次の加工品が独自のアイデアでどんどん生まれ、捨てるところはない。醸造免許を持つので柿酢、リンゴ酢も100%物を作る。 「柱は地元産の大豆を使った豆腐、それに果物ジュースだったんですが、地元産の大豆がなくなって豆腐はあきらめた」と残念がる小池さん。 自ら加工品を作り出すほか、地元住民や県外から持ち込まれる物の委託加工も多い。これが同加工所の作業量の3分の2を占める。条件は商品と等量交換で、別に加工料をもらう。こうしてできた商品を別の場所で売りに出す農家も多い。これには小池さんの娘さんである伊佐子専務(薬剤師の資格も持つ)のアイデアであるラベル自動印刷機が活躍。図柄は同じだが、傍にJAS規格に沿った原材料や販売者の名、バーコードまでが入るようになっている。これも業者任せにしないコストダウンの一つという。委託者と共に汗をかき、付加価値を付けて製品を持ち帰るわけだが、小池さんは「生果と加工品を共に売る。これが農業者だよ」とマイスターとしての助言をする。 これらのアイディアいっぱいの事業活動で、年商は1億円を超すまでに成長した。伊佐子さんも「加工技術はお母さんたちが確立した保存方法。だから余計な添加物は一切入れない。高いですが、良い素材を使っていますというのがうちの商法」と胸を張る。 加工場はごく簡単な機械しかない。搾汁機も手で材料を押し込む方式で、自動化は極力排除している。ただ、気を配っているのは殺菌などの機械で、衛生面や食品の安全面に関しては最新の機械を使う。丁寧なアク取り、ゼラチンじゃなく煮詰めるだけのジャムは、1年や2年たっても変質しない。「ここは果物の宝庫で、1年中材料はある。暇な月はありません」と2つの工場で15人いる従業員はフル稼働。 「消費者が喜ぶ。これが何よりうれしい」と小池さんは言う。商品を受け取った消費者からは礼状が来るほどで、表だった営業はしていないが扱わせて欲しいという客が自然に来る。「裂果や落果も、生果で売るのと同等の価格で売る。加工の魅力はこれ」−−小池さんの心意気が言葉に現れる。 <写真上:事務所の窓際に並ぶ商品群と小池さん> <写真下:リンゴの搾汁作業。簡単な機械が小池加工所の特徴だ>
玄米みその製造に成功 無駄をなくし栄養分も十分
熊谷光廣さん(66) 長野県飯田市北方
この3月いっぱいまでは、長野県阿智村の嘱託で、同村農産物加工センターの加工指導員だった。というより地元では、下伊那農業高校の教員で、38年間、農産加工で教鞭を取ってきた。授業は高校生だけでなく、地域内の住民を相手にした年間10回の開放講座も好評だった。教員退職後の平成12年、阿智村で村主催の加工体験塾の講師として活躍、単年度卒業の予定だったが、人気が高くて留年組が多く、3年生の塾生もいる。同センターでは、今もアドバイザーとして面倒を見ている。 熊谷さんの自慢は「玄米みそ」。5年前に開発した技術。普通、玄米は蒸し上げが難しく、白みそも米を精白して麹にし大豆と混ぜるが、栄養成分の多い玄米を見捨てずに利用しようと、独自の工夫を凝らした。秘密は環流式の精米機を使うこと。これに自家製の組み立て式のムロを組み合わせて、玄米の麹化に成功した。「精白すると1割はぬかで捨てるわけだし、カルシウムやリン、鉄などは白米の2倍も含まれている。また、白米にはないマグネシウムや亜鉛、銅も多い」と玄米の良さを強調する。 麹菌にもこだわりを見せており、糖化力の強い菌で、製品に自然の甘みを付けたいという願いがこもる。麹は″塩切り麹″にして保存しておき、随時使えるようにしている。組み立て式のムロでは、2.5日で麹になり、大豆、食塩を混ぜて熟成させる。委託品はこの段階で各自が持ち帰る。 混合割合は玄米1に大豆1のみそで、大豆も蒸した後は必ずミンチ機でつぶし、麹と混ぜるようにしている。この方がみそかすができない。塩分は11%が標準。貯蔵上からも減塩にはしていない。ただし、麹が生きているから、発酵が進み、常温だと袋がふくらんでくる。「このあたりの人は薄いみそ汁じゃ満足しない。濃すぎりゃ量を少なくすればいい」という考えからだ。 加工塾の方は「いきいき加工塾」と名付け、村内の希望者を対象に、材料費だけの経費で運営される。ジャム、みそ、ジュース加工からコンニャク、ケーキ、カステラ、キャラメルなどと幅広い分野の講義と実習がある。受講生は1年生が10人、2年生が15人、3年生は18人いて、それぞれ熊谷さんが作ったカリキュラムに沿って年10回の講義を受ける。「当初は村内の女性を対象に、1年だけの予定だったが、継続希望者が多く、2年、3年になってしまった」と熊谷さんは苦笑する。 「農産加工は農村の伝承技術ではなくなってきた。昔は自分のみそがあったものだが、今は違う。だから、加工施設に金はかけられないと自分で工夫してみた」と熊谷さんはセンター設立当時を振り返る。また「加工は農産物の付加価値を高め、農家収益を上げる手段。だけど原料は良い物でないと加工品も良い物にならない。ここでは冷蔵せずに収穫したらすぐ加工することにしている」とも。添加物を入れずに安全・安心の加工品だけに、トマトなどの原料も良い物を作ってくれるよう生産者に依頼している。 同加工センターで作る加工品は、熊谷さんがレシピを作り、糖度計、塩分計を使いながら従業員が製造している。営業品目はトマト、リンゴなどの清涼飲料水(ジュース)とソース、みそ、しょうゆ、総菜類。良品生産のこつは、色合いと殺菌温度で、物により違うから厄介だが、技の発揮できる楽しみのある作業と熊谷さんは言う。 マイスターとして今後は、特産「市田柿」の消費拡大のために、「ゆべし(柿とユズのお菓子)や柿のあんを工夫してみたいし、地域に多いハチク(竹の子)のスープも手がけたい。それに発芽玄米の麹化に挑戦」と夢はまだまだ広がる。自らは1fの茶業経営者でもある。 <写真上:熊谷さんの手作り麹ムロ 組立式で移動も簡単> <写真下:阿智村農産加工センターで、みそ作りの助言をする熊谷さん(右)>
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