平成14年4月10日 マイスター通信 第3号
第3号
第1回地域特産物マイスター会議を開催
認定書の交付と講演会を開催,マイスター及び関係者の情報交換・相互交流を行う。
とき:平成14年2月25日(月) ところ:三会堂ビル石垣記念ホール

 平成12年度に発足した地域特産物マイスター制度による初めての地域特産物マイスター会議を,2月25日東京都港区・三会堂ビル石垣記念ホールで開催しました。
 当日は,平成12年度,13年度に認定された「地域特産物マイスター」をはじめ,農林水産省,都道府県関係者等約130名の多数の方が参加され,盛会裡に終了しました。特にマイスターの方々は38名中29名が出席され,会議終了後の交流会で相互の交流も図られ,有意義な会議となりました。
 会議は,はじめに当協会西尾理事長が「地域特産物マイスターの認定をきっかけに,ますます地域で活躍して欲しい。また地域特産物づくりのリーダーとして活躍できるよう,関係機関も活動の場を提供していただきたい。」と挨拶し,来賓の農林水産省坂野雅敏審議官からは「本物志向の今の時代,地域特産物へのニーズが高まっている中で,マイスターが地域特産農業の活性化に果たす役割は非常に大きい。」とのご挨拶をいただきました。
 続いて,平成13年度マイスターへの認定証交付と12年度認定のマイスターの紹介を行い,マイスターを代表して静岡県の青木勝雄氏が「これからも手揉み製茶技術の伝承,後継者の育成を通し,マイスターとして社会公共のために尽くしたい。」と挨拶された。その後,明海大学教授森巖夫氏から「むらづくり,特産づくり,人づくり」のテーマで,むらづくりは人づくりが決め手であり,そのリーダーの要件等についてユーモアを交え,楽しく有意義なお話をいただいた。
 この会議の模様については,別冊「第1回地域特産物マイスターの集い」として取りまとめ,森先生の講演内容も全文掲載しておりますので,ご覧になって下さい。

発行
財団法人 日本特産農産物協会
〒107-0052; 東京都港区赤坂1−9−13
TEL:03−3584−6845
FAX:03−3584−1757
ホームページアドレス http://www.jsapa.or.jp
○地域特産物マイスター協議会が設立されました。
 2月25日,「地域特産物マイスター会議」の開会に先立ち,マイスターの方々が集まって,マイスターの相互の連携・交流を図ることなどを目的とする「地域特産物マイスター協議会」を設立するための打合会が開催されました。その結果,出席者全員の賛同を得て規約(別紙1)が承認され,同日付けで「地域特産物マイスター協議会」がマイスターの自主的組織として発足することとなりました。
 この協議会の主な事業は,年1回の総会のほかマイスター会議や地域特産農業情報交流会議への出席,研修会の開催,ニュースレターの発行等情報の収集・提供等となります。役員については,当日は会長を香川県の山田琢三氏にお願いすることのみ決定し,後ほど会長と事務局が相談し,協議会の役員は別紙2の方々にお願いすることになりました。会員の皆様にはご承認下さいますようお願いします。事務局は当協会が担当し,会の運営のお世話をしてまいりますので、何かとご協力の程よろしくお願いします。

○地域特産農業情報交流会議を開催しました。
 当協会は、去る2月26日に三会堂ビル・石垣記念ホールにおいて地域特産農業情報 交流会議を開催しました。
 この情報交流会議は平成4年度から開催され,本年度は第10回目を迎えており,毎年200名を超える多くの方に参加いただいております。本年度までに特産産地形成の事例が115地域から報告され,それらを題材にした総括討議ととに,地域特産農業の確立を目指す関係者に示唆を与える会議になっております。
 本年度は,別紙3のとおりのプログラムで全国から7つの産地事例が報告され,その後シンポジウム形式で意見交換が熱心に行われました。この模様は後ほど「地域特産農業情報交流会議報告書」として取りまとめ,皆様にお届けすることを予定しています。

○全国ハーブサミット那覇大会が11月に開催されます。
 全国ハーブサミット連絡協議会と那覇市が主催する「第11回全国ハーブサミット那覇大会」が,平成14年11月14日(木)〜15日(金)の2日間沖縄県那覇市で開催されます。この全国ハーブサミットは,ハーブによるまちづくりに取り組む自治体及び関係団体が中心となって,平成4年から開催してきているもので,本年は500名規模の大会にしようと主催者ははりきっており,全国から多くの方が参加されることを望んでおります。
  1日目は,大会(挨拶,講演,パネルディスカッション,事例発表)と交流会,2日目は,分科会,全体会,ハーブ園等現地研修視察となっております。
 参加ご希望の方は,全国ハーブサミット連絡協議会事務局(那覇市建設港湾部花とみどり課内,電話098−855−5039 FAX098−855−5040)にお問い合わせ下さい。

千原信彦(前日本農業新聞編集制作局論説委員)

 地域特産物マイスターの皆さんの技術や活動状況については,マイスター認定者の概要として簡単にまとめたものが公表されているのみですので,もっと詳しく知りたいとの要望もあり,このたびマイスター審査委員の一人である千原信彦氏に3人のマイスターについて現地取材していただきました。今後順次マイスタールポとして掲載していきたいと考えておりますので,取材の際にはご協力よろしくお願いいたします。


1.中国産畳表の輸入攻勢の中で奮闘

広川 広志さん(57歳=広島県福山市)
 中国産畳表の攻勢に悩まされ続けている「備後表」の産地、広島県福山市
で頑張る広川広志さん。慶長年間(1,600年代)に始まったといわれる手織り機を今も大事に使いながら、「耐久力が断然違う」という備後表の保存に意欲を燃やす。
 福山地方のイグサは、岡山県から移ってきたといわれる。それが温暖少雨という気候風土にマッチし、急速に面積を増やした。
 一方で戦国武将の福島正則、それに水野、松平、阿部といった歴代福山藩主の奨励もあって、厳しい品質管理のもとで最高級の畳表として名を高めた。備後表はもともと細いイグサだけに織り目が細かく、織り込み本数が多く密度が厚いのが特徴。また、色あせは仕方がないが、きれいなあめ色になってからの耐久力が、他産地のものとは断然違う。最近は、シックハウス症候の原因であるホルマリンなどをイグサが吸収するとわかり、「これを畳復権のPR材料にしたい」と広川さんは意気込む。
 慶長年間にできた手織り機は、手織り中継ぎ表といい、短いイグサを活用し上質の畳表に仕上げる技術。広川さんは1.8ヘクタールと県内第一のイグサ生産者であると同時に、この手織り技術の伝承者であり、小学生などの見学やイベントでの展示などに活
躍、広川さんは引っ張りだこ。「畳は物を落としても音が響かない、さわやかで温かみのある敷物。茶室なんかだと備後表でなくちゃ、と注文してくれる人が多い」といい、「畳文化はなくならないだろうが、中国産には頭が痛い」と嘆く。実際、1畳当たり15,000円する国産畳表が、中国産だと500〜600円。「まるで大相撲の曙とありんこの勝負。同じ土俵での勝負じゃない」と悔しがる。
 伝統ある畳文化を絶やしたくない広川さんにとって、奔流のような中国製の畳表はなんとしても納得が行かない。一時期全国で13,000ヘクタールあったイグサの栽培面積が、1,970ヘクタール(2001年)にまで減った。広島県藺業協会でも「国内需要をまかないきれない現状だから、輸入はしなければならない。ただ、あふれかえるような輸出攻勢は問題」といい、節度のある輸入を望む。全国の需要量は2000年度で3,350万枚から3,430万枚と見られる。これに対して生産量は約1,400万枚。つまり自給率は約40%。輸入量は2,030万枚あれば需要と供給が合致する。「25年前から値は上がってないんだから」と輸入商社の姿勢に自制を望むのが広川さんらの願望だ。
 イグサの栽培は確かに機械化が進んでいる。植え付け機に若干問題はあるものの、一番労力のかかる収穫、泥染めはかなり楽な作業になった。それでも朝夕に刈り取り作業、日中は泥染めと連日の重労働が続く7月は、さすがにきつい毎日。それだけに後継者不足は深刻だ。広島県内の栽培者は130戸、47ヘクタ−ル。ほとんどが栽培から織りまで手がけるが、原草売りといって泥染め乾燥したものを織り屋さんに売る農家もいる。「日本の風土に合う敷物は畳が一番。早く中国との関係を改善して適正な競争、それも品質で勝負したい」と広川さんは将来に望みをつなぐ。
(写真:短いイグサも生かせる中継ぎ表を見せる広川さん夫婦)


2.伝統の味「白下糖」にかける親子の情熱

山田 琢三さん(70歳=香川県さぬき市)


 香川県には3つの白がある。江戸時代から「讃岐三白」といわれるが、塩、綿、それに山田さんが取り組む砂糖だ。前2者はすでに昔日の面影なく、砂糖(白下糖、和三盆)も伝える技術者がぐんと少なくなっている。山田さんもいくつかの危機に遭いながら、白下糖を守ってきた人で、「買ってくれた人からありがとうといわれた。これを聞くと頑張らないといかんなと思う」と伝統製法を守り続ける熱意を語る。
 白下糖とは、サトウキビを煮詰めていく過程で、丁寧にあく取りをして仕上げた極めて素朴な砂糖のこと。ほかに何にも加えていないから、ミネラルが豊富で、独特の香りと風味が珍重される。香川県を代表する銘菓「瓦せんべい」はこれがないとできない。
 洋糖より5倍高い時代もあって、終戦直後は大変な収入になった白下糖だが1970年ころから減り始め、75年には「ついに私だけ」という激減ぶりだった。津田町は砂質土壌でサトウキビよりもタバコ生産のほうが稼げるとみんなタバコに変換していったからだ。タバコ後には水稲も作れるし、タバコ自体10アール70万円も取れた。しかし,山田さんは何とかサトウキビを存続できないかと地域の農家の説得に当たった。「タバコに黄斑えそ病が蔓延し周りの農家が頭を抱えていたとき。それにこのあたりは塩分の強い土地柄だけに、それじゃキビをやろう、キビは塩害に強い」と勧めた。現在は香川用水が来ているが、当時はなく、かん水用に自前で井戸を掘りポンプ揚水を整備した。ところが問題になったのが、砂糖の自由化以後の価格。山田さんは「10アール50万円を保証しましょう」と言ったが、自信はない。そこで瓦せんべいの製造元「くつわ堂」の社長に相談、当時の社長2代目田村専次郎氏ができた分は全部引き取ろう」と請合ってくれた。
 こうして残ることになった白下糖だが、製造の苦労は並みではない。「まずお正月はしたことがない。忘年会はできない。新年会の誘いはあっても20日以降にしてもらってる」というほどハード。12月、1度霜に当てて糖分を乗らせたキビを刈り、それを午前零時から絞り始める。騒音公害だと騒がれたこともある。石車という独特の絞り機を使うが、これを改良して音を小さくした。キビからは絞り汁65%、かすが35%の収率で、その汁を3連釜で煮詰める。昔ながらの薪を燃やし、もうもうと立ち上がる湯気の中で、荒釜、中釜、揚げ釜と、焦がさないように神経をすり減らした工程を経て、冷やしがめと呼ばれる素焼きのかめに取り込んで出来上がる。山田さんが職人芸を見せるのは中釜でのあく集め。すましおけといわれるあくを集めて沈殿させるおけに取り、石灰を入れて中和させるが、ここでのちょっとした行動が製品歩留まりに影響する。やりすぎると質を落とすし、少ないと捨てる糖分が多くなる。「長年の勘かな。耳と目と鼻で判断するが、年をとると弱ってきて、息子と衝突することも多い。質重視の職人肌の息子と、量を気にする経営者の私のぶつかり合い」と山田さんは楽しげに笑う。
 家族が一心同体での仕事だからこそできる伝承の味。「家族が一体になって集中していく。これが日本農業でしょ」と昔ながらの味保存に意気込みを見せる。「孫の代までは まず大丈夫、続くでしょう」と後継者の泰三さん(43歳)と話し合っている。
(写真:今年の仕事を終えた三連釜の前で山田さん)


3.転作契機に攻めの農業へ大規模稲作と黒豆栽培

東内(とうない)秀憲さん(70歳=岡山県美作町)


美作町に黒大豆が入ったのは1970(昭和45)年の水田転作本格開始とほぼ同じころ。霧の日が多く、昼夜の温度差が大きいところだけにいいものができた。81年には勝英豆類生産販売協議会(現豆類生産振興協会)ができ、岡山県北部での優良系統選抜など活発な活動を続けている。東内さんはその中心メンバーで、元農協職員、86年から専業農家という経歴を持つ。「土壌改良、移植機の開発や培土、梅雨明けのかん水と技術確立まで苦労はあったが、作土に力があったら自然にできるもんだとわかった」と胸を張る。
 東内さんの一家は、すでに息子の国夫さん(40歳)夫婦が主力の経営になっており、東内さん自身はもっぱら地域の世話や消費者との交流、学童の体験学習指導に忙しい毎日だ。経営面積は水田が13.5ヘクタール(うち借地12.9ヘクタール)。ここに水稲8.5ヘクタール、黒大豆5ヘクタールを作付ける。ほかに作業受託として、耕起・代かき20ヘクタール、田植え9ヘクタール、収穫・乾燥・調製20ヘクタールをこなす。機械類はトラクターが72馬力、28馬力、18馬力の3台、6条の田植え機、コンバイン2台など。転作率が4割を越す現状では、大規模稲作の経営はいかに有利な転作物を導入するかにかかるが、黒大豆は大粒の枝豆として人気が出始めており、煮豆用としても黒い色に活性酸素抑制作用があると消費が増え始めた。実際、地元の「道の駅」特産館では、東内さんらが名づけた「作州黒」が売れ行き好調。消費者との交流である10月の「枝豆ツアー」でも枝豆1本が700円から1,000円するのによく売れる。「黒豆のジュースは白髪を防ぐんだそうだ」と東内さんは黒豆の機能性にも自信を持っている。
 黒大豆つくりのこつはまず土つくり。ここらあたりが皆さんと違う豆作だという、東内さんの土つくりは、土地条件にもよるが、サブソイラーで弾丸暗きょを埋め込み、4連プラウで25〜30センチの深耕を行う。そこに畜産農家からのたい肥(豆殻との交換で入手)を10アール1.5トン投入する。この土つくりには5年かかる。「だから借地契約は長期の質権設定でないとできない」と東内さん。レンゲではなく麦を青刈りして緑肥にし、5月の連休明けにすき込むといったことも行い、秋には生のもみ殻を入れて翌年水稲、次いで黒大豆というローテーション。これだと稲は除草剤のみの無農薬・無肥料で作れる。東内さんは「米はただ取りだ」と笑いながら話す。
 また、大粒で黒色が冴える豆を多収するにするには、地下水位50センチを確保できる畝たて(幅150センチ)を行い、そこにポット育苗した苗を移植機で植える。このときはかい割れのすぐ下まで深植えするのがポイント。また、ポットへの種まきは豆のへそを下にまく、植え付け後畝間に水を入れてすぐ排水、開花期は1週間だからこのときのかん水が大切、梅雨明け期の中耕培土、8月のスプリンクラーかん水――と東内流栽培術はきめが細かい。機械類の運転整備は息子さんの担当だが、収量は10アール150キロと多く、生産コストは従来より36%ダウン、10アールの当たり労働時間は48時間を実現している。
 「お盆以降、土つくりができているかどうか、で作が決まる。周りの人には土と話ができるようになりましょうと話してるんですよ」と東内さんは話している。
(写真:自慢の機械類の前で東内さん親子)

<マイスター関連新聞記事>
平成14年2月26日 初のマイスター会議
平成14年3月 6日 「むらづくり、特産づくり、人づくり」から
平成14年2月28日 情報交流会議に産地結集
平成14年3月13日 特産化で地域を生かす 地域が変わる(上)
平成14年3月20日 特産化で地域を生かす 地域が変わる(中)
平成14年3月27日 特産化で地域を生かす 地域が変わる(下)
平成14年1月30日 雪国の藍(栗田キエ子)
平成14年2月20日 雪菜(上長井雪菜生産組合)